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大阪地方裁判所 昭和35年(わ)2445号 判決 1961年12月23日

被告人 岡野修 外二名

主文

被告人等はいずれも無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、

「被告人岡野修は日本労働組合総評議会全国一般合同労働組合連合大阪地方連合会大阪証券取引所労働組合の組織部長、同新堂継男は同組合調査部長、同戸田浩は同組合員であつて、いずれも昭和三五年五月二四日行われた安全保障条約改定阻止府民共闘会議主催の安保条約粉砕、国会解散要求、岸内閣打倒を目的とする集団示威行進に参加していたものであるが、同日午後八時頃大阪市東区北浜三丁目四四番地先北浜三丁目交叉点西北角において、大阪府東警察署刑事課司法係鑑識担当巡査居谷周造が被告人等のジグザグ行進、渦巻き行進の状況を写真撮影したところ、被告人三名はほか約二〇名位の同組合員及び全仲立証券労働組合員と同所附近で共謀のうえ、右居谷を逮捕するため、その周囲を取り囲み、両袖を掴み、これを振り切つて逃れんとする同人を同所より約一三〇メートル西方の同区北浜四丁目六番地喫茶店木村屋前路上まで追跡し、同所において同人の脊中を突き飛ばせて顛倒させ、胸倉を掴み、左右より両腕をとらえ、その周囲を取り囲んで同人の身体の自由を拘束したうえ、同所より前記北浜三丁目交叉点東南角までは、同人の胸倉を掴んで胸部を小突き、左右より両胸を抱え込んで引張り、脊部を押し、その周囲を取り囲みつつ、更に右交叉点東南角より同区北浜二丁目一番地大阪証券取引所地階大阪証券取引所労働組合事務所までは、同人の両腕をとらえ、その周囲を取り囲みつつ、前記喫茶店前路上より右組合事務所に至るまでの間約五百数十メートルにわたり連行し、もつて同人を不法に逮捕したものである。」というにある。

二、ところで証人居谷周造、同新家忠彦、同河口時吉の各証言、本件公判調書中証人藤田治郎、同坂口昇、同稲葉克允の各証言記載部分及び実況見分調書を綜合すると、「大阪証券取引所労働組合員約十余名は昭和三五年五月二四日午後八時頃、大阪市東区北浜四丁目六番地木村屋喫茶店前歩道上より同区北浜三丁目交叉点に至る迄の間、大阪府東警察署巡査居谷周造の両腕を掴み、周囲を取りかこみ、この間約一三〇メートルに亘り、右居谷を連行したものである。」ことが認められる。

検察官は、起訴状、冒頭陳述、論告において、「被告人等は他の組合員約二〇名と共謀のうえ、前記木村屋喫茶店に至る迄に北浜三丁目交叉点西において前記居谷を取囲み、両袖を掴み、これを振切つて西へ逃げた右居谷を右木村屋前にて突き飛ばして顛倒させ、右居谷を再度取囲み、東へ約一三〇メートル連行し、北浜三丁目附近においては右居谷の脊部を押して顛倒させ、更に同所より約四百数十メートル東の同区北浜二丁目一番地大阪証券取引所労働組合事務所に至る迄の間計五百数十メートル同人の両腕をとらえ周囲を取り囲み、同人を逮捕したものである。」と主張するのである。そして証人居谷周造を始めとする検察官申請証人の証言、公判調書中の証言記載にはこれに符合するが如き部分も存するのである。

しかしながらこれら検察官申請の証人は全て警察官であつて当時東警察署に勤務する被逮捕者居谷周造の直接の上司や同僚であり、本件捜査は同警察署によつて始められ、一部の証人はこの捜査に関係、証人藤田治郎は被告人新堂の逮捕までしていることが認められ、又右証人等の尋問過程等よりみると事実を前記組合に不利に解釈して証言する傾向があることが認められ、又証人田所稔の証言によると東警察署は前記労働組合に対し好意的な態度を示さなかつたことがうかがわれるのでこれら証人等の証言、公判調書中の証言記載も充分そのまゝに信用することができない。更に検察側の主たる証人居谷について考えるに、前記組合事務所において机の上においてあつたカメラを実際は新家忠彦巡査部長が持つて出たのにこれを組合員が奪つたものと考えたり、大阪金属のガレージへは実際は藤田巡査部長が押入れたのに右組合員等に押入れられたような口振りで証言したり、木村屋喫茶店前で顛倒したのも後記認定のとおり組合員が押し倒したとは考えられないに拘らず、これが組合員によるものと速断したりして右組合に不利に判断する傾向があり、又大阪市従業員組合のデモ隊人員数は同隊指揮者であつた証人中川正の証言によれば、約二〇〇〇人であつたことが認められるのに約五〇人位と速断する等観察にも不正確なものが見られるのであつてこれを充分信用できないことは明らかである。そこでこれらを考慮した上で検察官主張の前記所為について判断する。まず北浜三丁目交叉点西側で居谷をとらえたという点であるが、公判調書中証人坂口の証言部分、証人居谷の証言にはこれに添うような部分もあるが、このとき一緒に行動していた証人藤田の証言記載部分(公判調書中)には何らこれに関するものは見られず、又この前後に同藤田は右居谷より預かつたカメラを同人に渡していることよりみると居谷の身辺に何者かが迫つた状態にあつたとも認められないので、これらの証拠により被告人等の主張を排斥してこの検察官主張の行為を認めることはできない。次に検察官は被告人戸田は木村屋喫茶店前にて居谷の脊を押して顛倒させた旨主張するのである。そして証人居谷は「その直前にふり返つてみて誰も居ないようだつたが後から誰かに突かれて確か膝をついたように思う。起き上つたとき被告人戸田が前に居た」旨証言するのである。しかしながら証人新家は「倒れる少し前から見ていたがどうしたはずみか倒れた。」と証言し、又被告人戸田は「居谷はつまずいてころんだ。」と供述していることも対比すると検察官主張の如く被告人戸田が居谷を押し倒したことは認めることができない。

次に検察官は北浜三丁目より前記組合事務所に至る迄の間も居谷を逮捕していた旨主張するのである。そして居谷巡査と共に十数名の同組合員が北浜三丁目から右事務所に同行したことは認められるが、以前の如く直接身体に拘束を加えたことや、周囲を取り囲んでいた事実が認められないのみならず、同行していた新家巡査部長と被告人岡野との間に右組合事務所に行つて話合いすることに相談がまとまり、居谷も右事務所に同行することを歓迎はしないにしても一応承知してこれを拒否するような言葉は全然述べず、後から押されたりすることもなく歩いて行つたことが認められ、更に居谷巡査には少なくとも同巡査の護衛を職務としていた新家巡査部長、稲葉、坂口巡査の三人の警察官が同行しており、その他藤田、河口、長沼の三警察官も居谷が右組合員に同行したことを知つており、北浜三丁目に停車中のパトロールカーを通じて北浜二丁目に配置されていた警察官に連絡されていたにも拘らず、これに出合つた三木、横井の両警察官も何の措置もとつていないこと、北浜二丁目には約六、七十名の制服警察官が配置されていて居谷ら組合員の一団はその前を通行していたこと、組合事務所でも警官の出入が比較的自由に行われていたこと等を考え併せると、同組合員等が北浜三丁目より右組合事務所まで同行した点は何等逮捕と言えない状況にあつたことは明らかである。よつて本件公訴事実中、前記認定以外の部分についてはこれを認めることができない。

しかしながら前記認定の事実は(被告人等の共謀の点は別として)居谷周造の身体にある程度の距離、時間継続して有形力を行使したものであり、この点の所為は刑法二二〇条一項の不法逮捕罪の構成要件に該当する疑が存する。

三、そこで進んで右の行為が違法に行われたものかどうかについて、判断することとする。

所で前記事件発生の事情について、被告人三名の当公判廷における供述、証人居谷周造、同徳原修三の各証言、公判調書中同藤田治郎の証言記載部分、現場写真撮影についての復命書(写真とも)、集団示威行進許可書写、実況見分調書によると次の事実が認められる。

「被告人三名は日本労働組合総評議会全国一般合同労働組合連合大阪地方連合会大阪証券取引所労働組合員であるが、昭和三五年五月二四日行われた安保条約粉砕、国会解散要求、岸内閣打倒を目的とする集団示威行進に約二〇名の同労働組合員と共に参加していたものであり、大阪市東区北浜三丁目交叉点を越えようとしたところ、前を進行中の大阪市従業員労働組合の行進後尾が交叉点内に残つていたため交叉点を越えて進行することができず、同交叉点内にてジグザグ行進をした。一方右集団示威行進は大阪府公安委員会よりジグザグ行進や渦巻行進をしたり、また理由なく行進速度をおとしたり、行進を停止したりするなど、一般の交通の防害をするような行為はしないこと、等の条件をつけて許可されていたものであるが、右条件違反行為の証拠保全のため同所に派遣されていた大阪府東警察署刑事課司法係鑑識担当巡査居谷周造(私服着用)は、右デモ行進を大阪市条例七七号違反と認め、右大阪証券取引所労働組合行進の約二、三メートル前の至近距離より閃光電球を用いて同組合員等を写真撮影した。被告人等の同組合員はこのように至近距離より撮影されたのでおどろき、かついきどおり、右撮影者に対し、その身分、氏名、撮影の目的、写真の使途等を問いただす目的で右居谷に近ずいた所、居谷は一言の釈明をも与えず、急に身を飜がえして、北浜四丁目方向に逃げ出したので、被告人らの同組合員はこれを追つた。同所より約二〇メートルの所で被告人新堂が右居谷に追い付いたところその左ほゝを居谷に殴打された(但し故意になしたかは疑が存するが)。居谷は更に西方に逃げたが、前記木村屋喫茶店前において、同組合員等はこれに追いつき停止させて取囲み、両腕をとらえ被告人新堂は「なんで殴つたんや。お前は誰か。」と尋ね、被告人岡野等の組合員は「なんで写真撮つたんや。」と尋ねたが居谷はこれにも答えなかつた。そこに藤田等の警察官が来たが、写真撮影の目的、撮影者の身分、殴打の理由、弁解等がなされないので同組合員等は右居谷を北浜三丁目まで連行し、その後前記認定のように右組合事務所に同行し、同所において右居谷その他警察官に前記写真撮影の目的や居谷の新堂殴打の理由等について釈明を求めたものであるが、この間前記認定のように一時居谷の両腕をとらえ周囲を取りまく等の行為はあつたが、終始同人に対し殴打等の暴行は何等加えることもなく、又居谷の所持する写真機に手を触れることもなかつたものである。」

ところで、検察官は前記のとおり居谷のなした写真撮影は、被告人等がジグザグをなし、これが大阪市条例五条、四条三項に違反する犯罪であるから、その証拠として労働組合員の位置、至つた経路を明らかにするために撮影したものであつて、とくに顔写真を目的としたものではないから適法な犯罪捜査行為であると主張する。しかしながら、その撮影をした居谷巡査と撮影された組合員との間の距離は、現場写真撮影についての復命書添付の写真第三及び証人居谷周造の証言によれば、撮影写真及び使用写真機よりしてせいぜい二メートル余であることが認められ、更に撮影された組合員等よりすると夜間突然閃光電球を用いて撮影されたのであるから、証人滝正行、被告人岡野が供述するとおり、一メートル又は一メートル五〇センチメートル位の距離と感じたのも真実であろうと思われる。そして前記写真を見れば、この写真がジグザグデモの状況、組合員の至つた経路を明らかにする目的で撮影したものでなく、デモに参加した組合員の容貌を撮影する目的であつたと認められても止むを得ないものであることが明らかである。そして検察官の主張する通り、集団示威運動は参加者の思想を公に発表する目的で行われるものであるから、その状況を写真撮影されることは参加者等が事前に認容しているところであつて何等違法と言いえないと考えられるが、本件の如く容貌を目的として撮影される事までは一般に集団示威運動に参加する者が認容しているとは言えないと考えられる。顔写真の撮影は一見任意捜査であるかのように思われるが社会通念上無形の強制力を馳駆して、個人の平穏な生活を侵害するはもとより、憲法上保障された諸権利や個人の尊厳を害する惧れある行為であり(なお刑事訴訟法一九六条参照)、又一方実定法の上より見ても刑事訴訟法二一八条二項の規定の反面として身柄の拘束をうけていない被疑者の写真撮影は令状を要し同法一九七条一項但書にいう強制の処分に含まれるものと考えられるから、被疑者の承諾なくしてその写真を撮影することは犯罪の種類、性質、捜査方法等よりして真に止むをえないような特別の事情の存する場合を除き違法と言わねばならない。そして本件の場合被疑者たる本件被告人等が写真撮影されることを黙示的にでも承諾していたと言えないことは同人等が前記撮影に抗議している点よりして明らかであり、又写真撮影が真に止むをえないような特別の事情があつたとも認められないので、本件写真撮影は違法と言わねばならない。

検察官は被告人等のなしたジグザグデモは大阪市条例五条、四条三項違反の犯罪を構成すると主張する。もちろん右デモが犯罪を構成するとしても、右居谷の写真撮影行為が適法となるわけではないが、後に考慮せねばならない被告人等の行為の正当性を判断するに役立つものと考えられるので一言これについて判断する。ジグザグデモとは大阪市条例七七号四条により行進許可に付せられた条件に対する違反であるが、この違反により犯罪が成立するには当該ジグザグデモをした者が、右条件を知つていたことが前提となるのであるが、これが被告人等に通知されていたこと、又は証拠に提出されている集団示威行進許可書添付の遵守事項書が前記組合責任者に交付された事実については、積極的にこれを認める証拠はないのである。従つて被告人等のなしたジグザグデモは、右条例の合憲性、付された許可条件の適法性の判断に入るまでもなく犯罪を構成しないものと言えるのである。

次に検察官は居谷が被告人新堂を殴打したことはないと主張し、証人居谷はこの点に関し、「被告人新堂を殴打したことはない。」と証言するのである。しかしながら同証人の証言は前記のとおり信用できない点が多く更に同証人はこの点については弁護人の問に対して極めてあいまいな証言を避けようとする態度を示していて同証人のこの点に関する証言も必ずしもそのまゝ信用できないものと言わねばならない。他方被告人新堂の供述及び同人がその後木村屋喫茶店より同組合事務所までずつとこの殴打に抗議している事実(この事実については全証人、被告人が一致して供述するところである。)によると、同被告人は少なくとも居谷に故意に殴打されたと信ずるに相当の理由があるような状態で殴打され、同被告人もそう信じていたことが認められるのである。検察官は、居谷は写真機を損傷奪取されることを恐れ両手でこれをかゝえていたのであるから、同被告人を殴打する筈がないし、その事実については終始否認している点より、右認定に反する主張をするのである。しかし居谷が写真機を損傷奪取されることを恐れていた事は認められるが、同人は右写真機を首からぶら下げて所持しており手を使用することは可能であつたことが認められ、またこの現場では居谷に追いつこうとする同組合員等の数は少く殴打と思い違いの生じるようなもみ合いがあつたようにも認められない、居谷が殴打の点を終始否認していたことは認められるが、写真撮影の点でも同労働組合員より追求をうけている警察官としてこれを認めるわけには行かないこと等その他居谷の供述に信用できない点の多いことを考慮すると、これらの事実によるも前記認定を覆すに足りない。

四、前記認定のとおり同組合員等の所為は刑法二二〇条一項の逮捕罪の構成要件に該当する疑があるのであるが、右の逮捕が不法逮捕といいうるためには、被告人らの行為が正義の理念を基本として全体的な法秩序の精神に反し、社会通念上も許されないものでなければならない。そして国家権力を行使する警察官により、違法に写真を撮影され殴打されて国民の権利が著しく害されたような本件の如き場合においては、侵害さるべき法益との対比により均衡を失わない限度において、相当な手段方法により社会通念上許される行為が正当な動機目的によりなされたものであれば、何らかの犯罪構成要件に該当しても、違法性を阻却し犯罪を成立させないものと言わねばならない。

本件の場合においては、前記認定のとおり、居谷巡査は私服にて何等犯罪の構成しないデモ行進中の被告人等同組合員に対し、約二、三メートルの至近距離(組合員にしてみると更に近い距離と感じた。)より閃光電球を用いてその容貌を同人等の承諾もなく違法に撮影し、更に被告人新堂に対し、同人が同巡査に故意に殴打されたと信ぜしめる如き行為をなしたものであつて、被告人等の行為の目的は、右違法な撮影並びに殴打に対し抗議しその身分、氏名、撮影、殴打の目的、理由、を問いたゞし弁解を求めるにありそれを超えるものではなかつたことは前記認定のとおりである。そして被告人等の所為は、前記目的で居谷巡査に近ずいた所逃走し、前記釈明要求に対しても何等答えなかつたので、この釈明を求める話合をすることに相談がまとまる迄の間その両腕をとらえ周囲を取囲んだが、その程度も軽く時間も短いのであつてその他に何等暴行、写真機奪取等は行つていないものである。被告人等が顔写真撮影及び殴打に対しこのように釈明を求める行為は正当であり、警察官としてはかゝる場合逃走し、釈明要求にも答えぬような公正を疑わしめる如き態度はこれを避け、一応の釈明をなす義務あるものと言うべきである。そしてこれをなさなかつた居谷巡査に対する被告人等の行為は興奮したデモ行進中の出来事であることを考慮に入れると、前示のとおり極めて軽度のものであつて必要な限度も超えず、又居谷の違法行為に対し均衡を失することもないと考えられる。(なおこの点については警察官職務執行法二条による違法性阻却についての諸判例が参照さるべきである。)

以上のとおり、被告人等の所為はその動機目的は正当であつて、均衡も失せずその手段方法も相当であり、又被告人等の所為は全体として見ても社会通念上許される当然の行為と解されるから、実質的には違法性を欠くものと言わねばならない。

五、よつて被告人等の判示所為は形式的には刑法二二〇条一項に該当する疑が存するが、実質的に違法性を欠き正当の行為であつて同法三五条により犯罪の成立を阻却され本件被告事件は罪とならないから刑事訴訟法三三六条前段により、被告人等に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 網田覚一 西田篤行 井関正裕)

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